|
片山豊氏は、米国日産初代社長、そしてダットサンZ の生みの親として今やZマニアには神様的存在であるに違いない。そんな彼は、1960年3月、新天地米国にわりダットサンのブランドアイデンティティを確立すべく、米国での自動車市場において何が必要かを見極めた上で1969年、ダットサン
Z カーを米国に持ち込み、 100 万台以上販売した人物である。当時だれもこのダットサンZが米国でここまで売れるとは想像もしていなかったと、当時を知る人間は語る。「自動車が好きな人間」が考え、残した業績は素晴らしいものであった。
しかし、彼にとって不幸とも言うべき現実があった。当時の日産石原社長は片山豊氏とはライバルであったため、片山豊氏が米国で創り上げた、ブランドイメージや業績などの全てを憎んでいた。そのため、米国での任期を終え、日本に帰ってきた時、日産の役員にも迎え入れられず、片山豊氏の名前は事実上抹殺される形となった。また、片山豊氏の名前を消すだけでなく、片山豊氏が米国で育て上げたDATSUNのブランドネームも一部のトラックを除き消し去った。その後も日産社内では片山豊氏の名前はタブー視されることとなった。
このDATSUNの名前をNISSANに変更したことにより、米国民のなかには「業績の悪化した日本のNISSANという会社が、DATSUNを買収した」と勘違いする人も多く、著しくブランドイメージを低下させたと、関係者は語っている。
また、片山豊氏が1998年11月に米国の自動車殿堂入りと言う、日本人として誇るべき功績を残したニュースは、日本ではほとんど報道されなかったため、一部の関係者を除いて知る人は少ない。これも、日産の広報が圧力を掛け報道を抑えたためと、関係者は語っている。
|